北見市に義経が来た?

 皆さんは義経(よしつね)という人を知っていますか?  正しくは九郎判官源義経(くろうはんがんみなもとのよしつね)という人で,今 から八00年も昔の人です。 子どものころは牛若丸といいましたから,その名前で知っている人がいるかも 知れません。 この義経は,敵である平家一族を滅ぼしたのですが,兄頼朝に疑われて,東北ま で逃げながら,結局兄の手下に殺されてしまいました。  ところが,義経はそこをうまくのがれて,北海道へ渡ってきた,という話が古 くから伝わっているのです。これが,北海道の義経伝説です。  正式の歴史では,義経は平泉の衣川というところで死んだということになっ ているのですが,義経のことを思う人々は,義経が北海道へまで生きのびたと考 えました。 つまり義経は平泉をのがれて蝦夷が島(北海道)に渡り,更に蒙古(モンゴル)に渡 って英雄ジンギスカンになったというのです。  こういう義経伝説は,義経と同じ清和源氏の流れをくむ松前藩祖武田信広が 広めたともいわれていますし,北海道や樺太(サハリン)の探検家間宮林蔵がアイヌを 引き入れるためにひろめたともいわれています。 こうしたことは,よくはわかりませんが,悲劇の英雄義経を死なせたくない民 衆の夢やロマンが,北海道の義経伝説をつくり上げていたのかも知れません。  義経が北海道に渡ってきたという伝説は,道南から日高,積丹半島,石狩地方 など,北海道の各地に見られます。そこでは義経は立派な英雄です。 ところが,十勝,釧路,根室,知床などにも義経伝説はあるのですが,なぜか道南 の場合と違って,義経は悪人となっています。 これもよくはわかりませんが,和人がアイヌをだますのに義経の名を利用したた めかも知れません。  ところで,その「義経伝説」がこの北見地方にも残されているのです。 それは前に出てきた松浦武四郎の記録にあります。その中に出てくる「義経伝 説」について紹介しましょう。  常呂川の,北見の市街地と川東にはさまれたあたりを,昔はモイコツネイといいまし た。アイヌ語で,「湾(わん)のようなくぼみになっているところ」という意味です。 モイにはその他に「川の曲がりかどの,水のゆるやかに流れているところ」とか「山 や谷間の中で,平地が湾のように入りくんでいるところ」という意味もあるそう です。つまりモイコツネイは,そういうへこんだ地形をあらわしているのです。 (注)  このモイコツネイに義経伝説の残されていることが,松浦武四郎が常呂川をのぼっ た時の記録に書かれているのです。  「むかし判官様,ここの土をとって,キナチャウシの下のチウラホイといえる所へ,城を築 きたまいしとか:::」と,たったこれだけですが,義経が北見のここまで来たとい う伝説といえます。  「判官様」とは九郎判官源義経のことで,その義経が北見市街地と川東にはさま れたあたりの土を掘り取って,今の端野町忠志あたりまで運んで,城を築いたとい うのです。そこはチウラホイという所で,正しくはチルラトイ,「我らが運んだ土」という 意味です。土を掘り取られたところに水がたまってモイコツネイになり,土を盛られ たところがチルラトイになったという訳です。  同じ松浦武四郎の記録の「しれとこ誌」には,オショロマウのところに「昔,義経が,こ こに流れついた鯨(くじら)を拾って,ヨモギの串にさして焼いている時,突然ヨモギ の串が折れたのにおどろいて尻もちをついて,そこにくぼみが出来た」,イコイベウシ は「弁慶(べんけい,義経のけらい)がいつも魚を焼いた」,オヘケプでは「義経が,船 を洗う道具を落とした」,マクオイでは「義経が,幕を張った」などの伝説があります。  また,同じく「ゆうべつ誌」のチプウェンテウシののところに「義経が舟で川上りをし, ここで大岩に舟をぶつけてこわしてしまった」,ウカルシヘタヌには「義経が,ここでウカ リというアイヌと背中をたたき合う遊びをした。シユウベツには「義経が,ごはんを炊い た鍋をここに置いた」,チトカニウシには「義経が,弓を射て腕力をためした」などの伝 説があります。 どの伝説も断片的で,一つひとつの話には何のつながりもみられません。 はじめにも書いたように,義経が蝦夷地へえぞち,北海道のこと)にまで逃げ のびて来たというのは,全くのつくりととにすぎません。それなのに,オホーツク 海に面した北の果てにまで,しかもまだ和人がほとんど来たことのない時代に, 義経伝説が伝えられ,残されているのには驚かされます。  探検家間宮林蔵がアイヌを引き入れるために,アイヌの神さまオキクルミとサマイクルは, 実は義経と弁慶だったという話をひろめたためではないか,ともいわれてい ます。 これも,どこまでが本当かはわかりませんが,時がたつにつれて,間宮林蔵の 目的は忘れられて,話だけが残った,ということかもしれません。  それにしても,北見の市内にまで義経が来たという伝説があるなんて,驚き ですね。        (注)明治五(一八七二)年,北見地方に初めて村が出来た時,         モイコツネム村が出来,漢字では生顔常村と書きました。                          (伊藤公平)