人を助けるレイシヤク

  トコロ漁場で役付きの仕事をしているアイヌのレイシヤクは,探検家松浦武四郎と出 会ったとき(安政三年・一八五六年)五十七歳でした。 妻のほか七人の子どもがいて,むつまじく暮らしておりました。 レイシヤクは勇気があり,まちがったことは決してゆるさず,貧しい人や病気の人 に心やさしかったので,オホーツク沿岸に住む人で彼の名とその人徳を知らない人 はおりません。 彼が困っている人を救った例は,教えきれないほどあるのです。  こんなことがありました。トウフツ(今の常呂町栄浜)のオホタンカというアイヌが紋別 の番屋で働いていた時,そこのアイヌ娘と親しくなりました。 ある日娘の家に遊びに行っているところを,番屋の支配人清兵衛という男に 見つけられました。 前からそのアイヌ娘に目をつけていた清兵衛は,ねたんで「この娘はわしが長い こと親しくしていた女だぞ」とひどく怒ったのです。 オホタンカはそんなこととは知らなかったので,深くあやまって帰りました。  ところが五,六日すると,清兵衛は一通の手紙をオホタンカに持たせ,「急ぎの 用がある。これを持って宗谷へ行け」というのです。  オホタンカはその手紙を持って,宗谷へ行きました。 そして,手紙を番屋の又五郎という男に渡したところ,又五郎はそれを読んで 突然オホタンカを縄できびしくしばりあげ,天井からつるして,松前港のさむらい と二人で腰の骨が砕けるほど打ち叩いたのです。 頭からは血が流れ,庭が赤く染まるほどでした。 その時レイシヤクは宗谷にいて,このことを聞き,番屋に駆けつけました。 どんな訳があったのかは知らないけれど,・レイシヤクはひとがリンチを受けている のを黙って見過ごしていることはできなかったのです。 聞くと又五郎は,「こいつは紋別の支配人清兵衛の妻と親しくしたうえ,さま ざまな悪いことをしたので,このようにしばってあるのだ」と答えました。 もちろんこれはうそで,オホタンカは,アイヌ娘と親しくしただけなのです。  よくあることでしたから,レイシヤクは,それが清兵衛のうその密告であること を見やぶりました。 それで,「紋別から手紙でなんと言ってこようとも,まず宗谷のアイヌの長(おさ) か紋別の役付きのアイヌとよく話をしたらえで処罰すべきでしょう」と,道理を つくして説得しました。 ついに返事に困った又五郎は,宗谷の長の詫(わ)びを聞くことにして縄を解 かせました。 レイシヤクは,息も絶えだえのオホタンカに水を与えるなどして介抱してから,又五郎 に向かって,なぜこんなひどいことをしたのかと責めました。  すると,大勢の和人がかかってきて,レイシヤクを捕らえようとしました。 レイシヤクはやむをえず宗谷の長にたのんで詫びを述べました。 すると又五郎は,それならぱあやまったしるしの物をよこせ,というのです。 レイシヤクは代々家に伝わる立派なアイヌの飾り刀を出して,ようようトコロへ帰ってき たのでした。  レイシヤクは,うその密告のために苦しんでいるオホタンカのために,家の宝(たから) を取られてまでもがんばったのでした。 レイシヤクはそういう男でした。  一方オホタンカは,縄は解かれたものの,宗谷からさらに利尻島へやられてしまい ました。 そこで四年間きびしくこき使われているうちに,郷里トウフツの家は,朽ちてつぶ れてしまったということです。  幕末の探検家でレポーターともいえる松浦武四郎は,レイシヤクからこの話を聞き, 又五郎,清兵衛のこのしわざは憎さも憎し,恐ろしいことだと,「近世蝦夷(えぞ) 人物誌」という本にこのことを書き記したのでした。   この時(安政三年・一八五六年)レイシヤクは,トコロ川の上流,つまり今の北見方面 のようすを武四郎に話して聞かせました。 二年後(安政五年・一八五八年)武四郎はふたたびトコロへやって来て,トコロ川をさ かのぼりました。 武四郎は,レイシャクに案内をしてもらおうと思っていたのです。 が,レイシヤクはその春に病死したと聞いて,武四郎は,勇気があって心やさしい レイシヤクの死を惜しみ,悲しみました。                               (菅原政雄)