妹の死

 ノツケウシは漢字だと野付牛と書くのですが,へんなところだといって,はじ めて聞いた人はおかしがります。 北海道の町や村の名前がたいていそうであるように,これもアイヌ語で,「野の 果て」という意味なのだそうです。 明治のころ,屯田の兵制がしかれた時,私の父は伍長としてノツケウシへ移住し たので,私はそこで生まれ,七歳までそこで育ちました。 そして私たちは,四歳の妹をそこで失ったのです。 その日は起きる前からひどく待ち遠しく,楽しみなことがあって,私たちは朝 御飯のあいだにもはしゃぎ回り,熱いお茶の入った土瓶をひっくり返して叱ら れたりしました。 何がそんなに子どもたちを有頂天にしたのでしょう。 一本の楡(にれ)の木が今日伐られる,ただそれだけの何でもないことなのでし た。  しかし,その何でもないことがそれ程までに私たちを興奮させ,何か面白いこ とでも始まるかのように思わせたというだけでも,あの荒野の果てで,私たちの 幼年期がどんなに淋しく単調に過ぎていたか,分かっていただけるでしょう。  とりまく開墾中の畑の中の,幾棟かの灰色の兵屋。士官や下士官たちの住宅。 そうした人々のために存在している店。それだけがわずかに人間の声のする 世界で,開墾のすんだところこそ柔らかい土の畑になりつつありましたが,その 他は荒々しい草と,潅木と,くま笹と,ヤチと,黒々と壁のように立った原始林と, あとは淋しいほどの空の無限のひろがりでした。  大隊本部のあたりからは,毎日黄色っぽいラッパがひびきます。 屯田兵には午前中二,三時間の調練があるのです。私たちは小さい友だちと練 兵場の柵にもたれ,土まみれで畑仕事をしてる時よりは,ずっとえらそうに見え る父たちのその調練を見物します。 そのあとは,ひらかれたばかりの,ぽかぽかと埃(ほこり)っぽい路上で鬼どっ こでもするか,マリつきでもして遊ぶのが日課でした。 マリつきといえば,赤い毛糸の袋をかぶせた大きなゴムまりを,私はどんなに 大事にしていたでしょう。 それこそ命から二番目のたからでした。 もしなくしでもしたら,あの綿(わた)をまるめて糸をからんだだけの,ちっと もはずまない手マリでがまんしなければならなくなります。 荒物屋に十日おきに着く荷物にも,ゴムまりなどはお正月近くでなければ入っ て来ないのです。  十月の末から降りはじめる雪が,やがて子どもも大人をも家の中へ追いこみ ます。 吹雪でもつづくと,いつが夜でいつが昼だかも分からなくなるのです。 そんな暗くて長い冬は,食べることだけの単純な生活になってしまいます。 凍え死にをしないように。 それだけでした。 六畳と4畳半と、ほかには一間の炉を切った板敷きと土間があるだけの,屯田 兵に共通な小さい家に,私たちはちょうど熊が森のほら穴で冬ごもりをするよ うに,かたまりあって寝ます。 幸い熊のさわぎだけは知らずにすみましたが,生まれたての弟が湯タンボの不 注意から死にかけて,父が吹雪の真夜中に軍医を迎えに行ったりしたのを覚えて います。  しかし,その日は十月にはめずらしいほど和やかな暖かい日でした。 空は青い空気で透きとおり,ヤチの一帯の林は,まだ十分ゆたかな木の葉の, 赤や黄色のかたまりで彩(いるど)られていました。 どちらを向いてもぱあっとしたその明るさは,あと半月もたたないで雪になる とは信じられない,たとえば灯火が消えようとして急にもういっぺん燃えたつ, あの輝きに似ていました。  伐られるのは,屯田兵の住宅地から林に通じる丘のとっつきに立った古い楡 の木でした。 それは開墾のためというのではなく,何かに使うためだったように思います。 めずらしく母までが,弟をおんぶし,四つの妹の手をひいて出かける気になっ たのですから,こんな美しい日は今年もこれでおしまいかも知れないー! ひとつはそれに誘われたのでした。  伐られる楡の木の,たてに筋の通った幹からは三方に綱が張りわたされ,田村 さんといういつも父について働く若者が,根もとに片ひざを折って,すでに挽き はじめていました。 シュッ,シュッと調子をつくって動く鋸(のこぎり)のあらい目から,木屑が新 鮮なパン粉のように散りました。  父は中隊長のところの六さんという馬丁(ばてい,馬の世話をする人)と草に 腰をおろし,そばの焚き火からタバコを一ぷく吸いつけていました。 六さんはこんな時きまって故郷の木曽のひのき山の話を信州弁でするのでし た。 そして,それにしてもあの楡の株はもっと高く残して伐ってもらいたかったと 残念がりました。 そうすれば,株にきのこがどっさりつくからでした。 楡の株に生える黄色いきのこのおいしい味はみんなが知っていました。  きのこを採るということでは六さんにかなう人はいませんでした。 きのこにかぎらず,ギョウジャニンニクのような山菜でも,山ぶどうでも,こく わでも,野いちごでも,いち早く,しかもどっさりと採ってくるのは六さんでした。 それをまたみんな私たちに分けてくれるので,私たちは六さんが好きでした。 朝から酒を飲んで,くさい息を吹っかけたりしなければ,もっと好きになれた のですが。  その日も,ひげもじゃの大きな顔をもうまっ赤にしていて,私たちがあたりの 枯れかけた草のあいだに紫の濃いりんどうの花を見つけて摘んでいると,「さあ, 鬼ごっこだ。おじさんが鬼だよ」 そう言って大手をひろげて来るので,小さい妹まで,きやっ,きやっと叫んで 私たちと逃げ回りました。 父はきせるを片手に,兵隊帽の深いひさしの下からにこにこして眺め,母は焚き 火のそばで赤ん坊に乳をやりながら,私たちがつかまりそうになると,若い妻ら しい陽気な笑いごえで声援したりしました。  が,父はすぐに腰をあげ,田村さんのうしろへ回って,太い楡の根元にだんだ ん深くすべり込んで行く鋸を注意深く見まもっていました。 ついに反対側の幹がわずかに残されるまでに挽かれた時,父は斧を握って近づ き,その根元にひと打ち,ふた打ちと打ち込みました。 父と入れかわった田村さんは,おがくずをつけたまま,三方に張ってあった綱 の一方をゆるめにかかりました。 もう一方の綱は六さんが受けもちました。 そうして父が最後のひと打ちを入れて,根元をはなれると,残された一筋の綱 に今度はみんなが総がかりでとりつきました。  こんもりとまるく枝を張った楡の大木は,急に土台を失った円塔のように傾 き,そのまま綱の方へ倒れかかった時,母と並んで立っていた妹が,何と思った か,ちょこちょこと駆けだしました。  「あぶない」  父がどなったのと,重い地ひびきを立てて木が倒れたのは同時でした。 わーっと母が泣きごえをあげました。 みんな・・父も,母も,六さんも,田村さんも,妹の体の半分だけが見える幹の そばへ駆けよりました。 私は妹が下敷きになったとか,死んだとかをはっきり悲しむというより,母に 誘われてただわあわあいっしょに泣きながら,妹のはいていた赤い鼻緒のぞう りが,わざと持って行ったように少し上の枝先にかかっているのを,何か不思議 に思って眺めました。 〈野上弥生子「ノツケウシ」から開拓時代には,このような危険,事故があり ました。この小説はこのあと,東京へ引き上げた母と「私」が,三十五年後,妹 のお墓をさがしてふたたびノツケウシをおとずれた時のようすが書かれてい ます。)